「あ、おっかえりー」
「……出夢。」
玄関のドアの鍵が開いていた時点で、奴が部屋にいるだろうことは予想済みだった。
どこかの鬱陶しい兄が待ち構えているよりは幾分ましだが、目の前にいる人物といるのも何かとエネルギーを消費する。
しかも今日の風呂上りに食べようと楽しみにとっていたプリンの空容器と、テレビをつけてまるで我が家のようにくつろいでいるあいつを見ると、心労は二倍だった。
「学校でもあんなに疲れた、っつーのに…お前と一緒じゃ家でもくつろげねぇっつーの。」
「ぎゃはは!何何、人識もしかして僕みたいな美少女と一緒じゃドキドキして緊張しちゃうわけー?」
「んな訳あるか。ったく、今日は災難続きだぜ…」
鞄をソファの上に置くと、自然とため息が漏れた。
出夢はそんな俺の様子を怪訝に思ったのか、質問を飛ばしてきた。
「珍しくなんか疲れてるみたいじゃん。帰りに誰かに襲われでもした?」
「そんなんじゃねーよ。」
いくら殺し名とはいてそんなことはめったに起こらないが――― むしろその方がましだった、と思う。
ただ返り討ちにすればいいだけの話だ。
「今日の午後、講演会だったんだよ。サボる気満々だったのに、丁度運悪く委員長に見つかってな…体育館に強制連行されたんだよ。」
他の日に学校に来れば、と今日の朝講演会があると知った時点で思ったのだが。
どうせなら午前中で早退するべきだった、とその時後悔した。
「へぇ、人識がそんなおとなしく人についてくなんてめずらしーじゃん。」
「仕方ねーだろ。誰かさんと出合ったときのあの事件のせいで出席日数はギリギリだし、何か問題起こすわけにはいかねーんだよ。
ま、結局ほとんど寝てたけど。あまりにもくだらねぇ内容だったし。」
「ふーん…」
と、出夢は興味なさそうに答えた。どうやら意識はテレビの方に向いているようだった。
「で、どんなありがたーい講演だったわけ?」
番組がCMに入ると、急にぐるりとこちらを振り向いて出夢がたずねてきた。
「まぁ要約すると、命の大切さ、みたいな感じだな。」
「……なるほどね」
確かにそんなの僕らにとってはくだらない以外の何者でもないな、と出夢は笑いながら頷いた。
「んでんで、具体的にはどんな内容だったわけ?」
「んー…ほっとんど寝てたからあんまりよく覚えてねぇけど……」
と、俺は頭に残っている今日の午後の記憶を探り出す。
「確か、人が死ぬのはどういうことか…とか、死ぬことの意味…とか。
死んでも全てが終わるわけじゃない、周りの人に影響は残すからその人は他人の心の中で生き続ける…とか、ありきたりな内容だったな。」
「へぇ〜、人の死…ねぇ。」
「そいつにとっては死はある一区切りだけど、俺にとってはただそこで終わり、っていうだけだ。それ以外の何の感情も持ち合わせない。」
誰かが死んで悲しいとか、寂しいとか。
そんな感情、殺人鬼の俺と殺し屋の出夢には到底感じられない感情だった。
「確かになー。あ、でも僕はもし死んだのが人識だったら、何も感じないわけじゃないな。」
と出夢は起き上がってこちらを振り返った。こちらの反応を探るかのように、笑っていた。
「きっと、あんな方法でも僕を負かした奴が、こんなにあっさり死んでんじゃねーよ、って馬鹿にするだろうな。大笑いしてやるよ。」
「バーカ。誰がお前より先に死ぬかよ。」
「ぎゃはっ、僕が人識より先に死ぬなんて、有り得ないね。」
「さぁな。実際はどうなるか分からんねーぜ。」
「んじゃ万が一僕が死んだら…人識はどうする?」
俺はその質問に、間髪入れずに答えた。
「どーもしねーよ。ただ、何だよ、もう死んじまったのかよって、笑いとばすだけだ。」
「嘘吐け。こんなにお前をかまってくれる美少女なんて、僕以外に現れるわけないぜー?僕が死んだら寂しくて泣いちゃうくせにー」
「誰が泣くか。鬱陶しく絡んでくる奴がいなくなって清々するっつーの。むしろ宴会でも開いてやんよ。」
「あぁ、でも泣いても僕がいなきゃ人識に胸貸してくれる人なんていないだろうね。まぁ僕も場合も有料だけどね!ぎゃはは!」
「人の話聞けよ。」
何故、今頃になってあんな昔のことを思い出すのだろう。
月明かりに照らされ、人気のない砂利道を歩いていた。
京都とは違い、少し風が冷たい。
もう、ほとんど忘れかけた記憶だったのに、何故かあの時の些細な出来事が次々に甦ってくる。
本当に短い期間。
生まれつきの殺人鬼の俺と、強さだけを担っていた出夢。
お互いに優しさや思いやりなんて持ち合わせている訳がなかった。
時にはケンカや殺し合いだってしたのに。
だけど、二人でいるときは何故か心地よくて。
二人でいるときは、何となく楽しくて。
思い返して、後悔が1つも見当たらないのはどうしてだろう。
どうして、あいつと出会えたことが…悪くなかったと思えてしまうのだろう。
アメリカから京都に戻ってきて、欠陥に、出夢が死んだと聞いて。
その瞬間は、何も感じなかった。
なんだ、死んじまったのか…とか、そのくらいの感情しか抱かなかった気がする。
弱さを持つようになった出夢は。妹の死に、涙を流したりしたのだろうか。
優しさなど持ち合わせない俺は、出夢の死を哀しいとも寂しいとも思えなかった。
涙なんて、微塵も出てこない。
ただ、なぜか、ずっと昔の、一緒に居た日々の、あいつの笑顔や、あいつの声や、あいつのが浮かんできて。
『ぎゃはははは』
『僕とあそべよ、おにーさん』
『おっかえりー』
『人識は、僕が死んだら、どうする?』
「……笑えねーよ。」
笑えねーんだよ、全然 とまぶしいほどに輝いた星を見上げて、苦々しそうに呟いた。
そんな俺を、あいつが哂っているような気がした。
End
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06.10.01 水霸
出夢君追悼の意を込めて。
09.04.04 修正(修正前はこちら)